みなさんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?
今回は、結構マニアックなファンも多い「赤べこ」について徹底深堀をしていきたいと思います。
古くからの郷土玩具という事もあり、情報が分散されていて、いざ調べようと思うと結構苦労します。
そこで、当サイトでは情報を網羅できるようたくさんの情報をわかりやすくご説明いたします。
- 赤べこの歴史
- 赤い牛の伝説
- 赤べこの由来
- 赤べこの絵付け体験
- 赤べこ発祥の地
赤べことは?
首がゆらゆら動き、体に黒と白の斑点模様の入った赤い牛の張り子という技法で作られたの民芸品です。
古くから厄除けや、縁起物として会津地方で親しまれてきました。
修学旅行や観光土産としても人気が高く、最近では、赤だけではなくかわいいデザインの物もたくさん
販売されています。
さらに、会津若松市に行けば、実際に赤べこの絵付け体験もできちゃいます!(詳細は後述)
名前の由来は?
会津地方(東北地方全般でも)では、牛のことを「べこ」といいます。赤い牛だから「赤べこ」という名前になったわけです。
今では、赤くない「赤べこ」もたくさんあります。
一番初めに目にした赤べこが、他の色だったりすると不思議に思うかもしれませんね。
張り子とは?
竹や木などで骨組みを作り和紙などを張って形どられたもので、内部が空洞になっているため軽いのが特徴です。
張り子の歴史は古く、2世紀頃から中国に始まったとされています。
その後、アジア各国、ヨーロッパにまで伝わりました。
張り子の技法で作られたモノ
- 赤べこ
- 会津天神
- だるま
- 犬張
- 起き上がりこぼし
- 三春張子人形
- おかめ
- ひょっとこ
この中でも「赤べこ」、「起き上がり小法師」は会津張り子と呼ばれています。
【ちゃんと意味があったんだ】斑点の由来
昔、日本で天然痘というの流行が起こり多くの人が命を落としました。
その際、赤い牛が身代わりになって子供を守ってくれたという言い伝えがあり、子供が完治するとそのうちに黒い斑点が残ったという言い伝えがあります。
真偽のほどはわかりませんが、素敵なお話ですね。
赤べこの歴史
制作に用いられる技法『会津張り子』の歴史
「会津張り子」の起源は古く、約四百年前、豊臣秀吉の命で会津に異動となった蒲生氏郷公が下級武士たちの糧になるようにと、京都から人形職人を招き、殖産復興を図ったのが由来といわれています。
この時期から会津天神と共に作られてきた歴史ある民芸品です。
昭和36年には郵便切手に採用され、全国的に広く知られることになりました。
蒲生氏郷公について
会津・黒川の地に移った後は、城の名を蒲生家の家紋にちなんで「鶴ヶ城」と改め、七層もの天守を持つ大きな城に改築。ちなみに現在会津若松で復元された鶴ヶ城は江戸時代の五層のものだそうです。氏郷はここでも城下町の発展に力を注いでいます。 町の名を黒川から「若松」に改め、城下町は城を中心に外堀の内側に武士、外側に町人、職人を住まわせ、さらにその周辺に寺を巡らしました。信長の経済政策「楽市楽座」を採用して、城下町の商業を活性化させ、まさに会津若松を発展させた第一人者と言えます。
引用元:HISTRIP MAGAZINE
比較的知名度の低い武将ですが、レビューにはこの本を読んで蒲生氏郷公のイメージがガラッと変わった、「かっこよすぎ」という声が結構多く上がっています。
赤い牛の伝説について
赤い牛の伝説は会津地方を襲った大地震が関係している?!
1611年9月27日に会津地方を襲った大地震(慶長会津地震)で圓藏寺の虚空藏堂や民家の多くが倒壊し、発祥の地とされる柳津は大被害を受けました。
震災から6年後の1617年に本堂再建がかないますが、本堂再建のための大材を運ぶことにとても苦労し難航したそうです。
その際、どこからともなく赤い毛の牛が大群で現れ、運搬に苦労していた黒い毛の牛を助けてくれたと言われています。
忍耐強く、力強いその赤い牛を「赤べこ」と呼び、広く親しまれるようになりました。
これが「赤い牛の伝説」です。
そしてこの偉業をたたえ、現在は開運の撫で牛として圓藏寺境内に牛の石像が祀られています。
私もよく行きました。撫でたところが良くなるそうです!
発祥の地
発祥の地の福島県柳津町はこんなところ!
先ほどご紹介しました伝説の舞台となったのが「福島県柳津町」
会津若松駅からJR只見線で約60分ほどで「会津柳津駅」に到着します。
電車を降りるとすぐに赤べこがお出迎え。
改札を抜けると、赤べこの地図が目の前にあります!
海外の方もわかるように英語の表示なっています。
赤べこ親子が柳津町内にいる!?町内を探してみました!
柳津町内にいろんなところに赤べこ親子が姿を現しているという情報がありましたので早速探してみました。とは言っても、闇雲に探しても仕方ないので近くのお店に入り情報収集をしてみました。入ったお店はとっても素敵だったので後ほどご紹介いたします。
どうやら、おとうさんが「福太郎」、お母さんが「満子」、子供が「もうくん」、「あいちゃん」という家族構成らしい。
父ちゃん発見!めっちゃ景色のいいところにいらっしゃいました。赤べこの特徴でもあるゆらゆら動く首も忠実に作られているので、風が通るたびにゆらゆらと気持ちよさそうに首を振っていました。よし次!
息子の「もうくん」発見!場所はあえて記載しませんが、父ちゃんよりはわかりやすいところにいました!
娘の「あいちゃん」発見!兄弟はわりと近いところにいてすぐにわかりました!
この後、お母さんを探したのですが見つかりませんでした…誰か情報か写真ください!涙
赤い牛伝説の「福満虚空藏菩薩 圓藏寺」はここにあります。
福満虚空蔵菩薩 圓蔵寺 | |
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住所 | 〒969-7201 福島県河沼郡柳津町大字柳津字寺家町甲176 |
祈祷厳修時間 | 午前 9:00・10:00・11:00 午後 13:00・14:00・15:00 準備の都合上、祈祷時間の15分前迄に受付を済ませて下さい。 |
ご祈祷に関する お問い合わせ | 圓藏寺寺務所 0241-42-2002 |
日本三所之一の由来 | 日本三所の虚空蔵菩薩の一つに数えられる福満虚空藏菩薩。今から凡そ千二百有余年の昔、大同2年(807年)名僧徳一大師によって開創され、本尊の福満虚空藏菩薩は弘法大使により刻まれたと伝えられています。 |
ちょっと寄り道・柳津おすすめお店(随時追加予定)
赤べこ堂
無料駐車場のすぐ隣にあるとってもお洒落なお店「赤べこ堂」さん。
そう!赤べこ親子を探す際に入ったお店が、このお店なんです。とっても親切なお店の方に教えていただき助かりました!その節はありがとうございました!
Instagramでも素敵な投稿をされています! →赤べこ堂 柳津町
柳津といえば「あわまんじゅう」小池菓子舗
災害に「アワ」ないようにと作られたといわれている「あわまんじゅう」。県外からもたくさんのお客様がいらっしゃるそうです。
公式サイトはコチラ
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は「赤べこ」について徹底深堀してみました!
赤べこについての下記5点まとめておきます。
・「べこ」とは東北の方言で「牛」の事。
・赤べこの模様は天然痘から生まれた。
・赤べこ発祥の地は会津柳津町。
・赤い牛の伝説は会津大地震に関係している。
・赤い牛の偉業を称えた開運撫で牛が福満虚空藏菩薩 圓藏寺に祀られている。
百聞は一見にしかずという事で、ぜひ会津に足を運んでみてくださいね♪
最後までご覧いただきありがとうございました。
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